占いの歴史
私達の生活の中で、占いは一つの娯楽性を持ちながらも、ごく普通に目にする一般的なものとして根付いていますが、少し占いの歴史を遡ってみましょう。そもそも占いのルーツは、古代メソポタミア文明の頃からあり、主に国家を占うものとして存在していたと言われています。天文学と占星学とは切っても切れないもので、占い師といわれる職業は、天文学者が担っていた時代もあり、国王の側で職位を得ていました。

それが時代を経ていくに従い、ローマ文明のあたりからキリスト教による布教とともに、天文学と占星学は切り離されていくようになります。この事は、天動説と地動説の解釈を巡っての闘いでもあったわけですが、6千年もの時を経ていく中で、占星学は表舞台からその地位を失い、その土地に昔から根付いていた占いと称される占星学は、弾圧や迫害による人の移動とともに、ひそやかに世界中に分散されていったという歴史を持っています。

学術的な意味を持っていた占いという技術は、国を占うものから徐々に庶民生活に浸透していき、元々その土地のあった思想と共に、それぞれの占術として浸透していくようになります。主には、民間の医療などにも役立てられるようになり、西洋であればハーブを用いた薬草、中国であれば漢方を用いた処方など、その人の生まれ持った体質を占い、状態をみながら処方されたと言われてます。

そして、その主体となる基本は太陽と月の関係性であリ、西洋ではそれに星との関係性が、東洋では五行との関係性が深く関わっていたものと推測されます。東洋では、中国で陰陽説と五行説が深まリ、やがて日本にも入ってくる事になります。そして、陰陽五行読を取リ入れた医術は、薬剤師の原点ともなっていきます。

その役目は日本では野武士が担っていたという説もあリます。日本では、時を経て、陰陽師の誕生とともに、大和の国「日本国」の為にその思想が根付いていくようになりますが、全ての物事にこの陰陽五行説は取リ入れられ、さらに日本らしい文化にあわぜて進化していきます。日本でも「陰陽省」という地位が確立ざれた時代もあリましたが、時代とともに、やばリ徐々に公の舞台から消えて行きました。そして、現在、占いという分野は多岐に渡リ、身近な存在として私達の生活のあちこち目にする、娯楽性の高いものになっています。